Atsushigraph

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切り絵の熱中人
2019-1-23

画家のマティスや、染色家の柚木沙弥郎さんを知った影響で、切り絵をはじめた。
久々に手の力加減をたしかめるように切っていく。普段から手を動かしているとはいえ、スマホやPCで指を滑らせたり、タイピングしたりするくらいで、その動作の単調さ感は否めない。だからか、とても新鮮だった。
紙の手触りも、創作をしている意識もあってか、余計ダイレクトに伝わってくる。ちょうど、図工に熱中する小学生みたいに、感覚をかみしめる。
僕の制作には、明らかに触覚の感受性が欠けていたのに気づく。それでは、世界の質感は表現しきれないんじゃないだろうか、とおもう。もしかしたら、そのことでこの先行き詰まり悩んだかもしれない。そうおもうと、切り絵に出会ったのは偶然とはいえ、幸運な出来事だった。


つくった切り絵は写真に収めて、場所をデジタル空間に移す。切り絵は思い描くモチーフの助けになってくれるし、フォトコラージュやCGとの相性もとてもいいようだ。画像加工で切り絵はあらたな姿をみせてくれる。年末にCGを自分ごととして表現に取り込めたことで、視野が大きく広がったけれど、それに相応しいインパクトが切り絵にもある。
表現の選択肢が増えたのも大きく、自由さを手に入れたようなきもち。そうなってくると、描く光景のストーリーテリングがより一層重要になりそうだと感じる。
試行錯誤の悩みと熱中はつづきます。

励ましてくれるもの
2019-1-22

時々、ただ綺麗なだけの作品を作りたくなる。けれどもそこに真実はなく、意味やコンセプトも見出せないのが現実で、そういうものしかできないとき、頭を抱えて、嫌気がさして、ベッドに突っ伏す。
霧が頭を覆って、視界を曇らせる。それでもみえないものをずっと探している。ずっとくるしい。ずっとこんな旅をするのかと思うと、途方もない。でも、なぜだかまた向き合いたくなる。なぜだかまた手を動かし、なぜだかまた制作をしている。


僕はその営みにどこか支えてもらっているとおもいます。くるしさに向き合っているということは、そのこと自体が慰めであり、安心であり、拠り所であるかもしれません。制作をやめたり逃げたりしないのは、作るそのプロセスに精神的な支えを得ているからだと感じます。

時にはくるしい悩みを、すべて忘れさせてくれる瞬間もあります。テクノロジーのニュースが僕を刺激し、ワクワクさせ、熱量を与えてくれるのです。
あたらしいアプリケーションやあたらしい製品に、創作の道具としての夢を見出します。

そうやって気づいていく、簡単ではない世界の可能性のようなものに支えられて、僕はまた歩みだします。それは他人から肯定されているのに近い感覚です。

そういえば、以前多くの人が3Dプリンターやオープンソースのデザインを使って、製作者になり得る未来をうたった「MAKERS」という本がありました。誰もが作り手にまわってモノを作り、表現をするポジティブな世界が、理想論かもしれないけれど、とても大切なもののようにおもいます。

それは一筋縄ではいかない世界のなかで、表現する勇気を与えてくれ、励ましてくれます。そしてまた、人々の創造性を肯定してくれる、あたたかな価値観だと感じています。

ギブン
2019-1-17

“Great nature inspired abstract pieces. Very spiritual”

これは、先日Instagramでいただいたコメントです。海外の画家・Pablo Esteban さんという方からいただきました。


「Great nature」で思うことがあります。
それは、大いなる自然からは、日々何らかの影響を受けているだろうということです。
僕が「いわて」という土地で制作をしているのは、単に出生がそこだったからというのもありますが、それよりも子供の頃に知った、宮沢賢治の「イーハトーヴ」ということばが、大きく寄与しているようにおもいます。その世界観に惹かれてから、どんな苦楽も、ここの風土に見守られてきたようなきもちがあります。

人口減少やさまざまな問題はありますが、この土地に根づいている不思議なあたたかさには代え難いものがあります。ずっと無くならないでいてほしいとおもうのです。

パブロさんからは「とてもスピリチュアル」とコメントを頂きましたが、以前には僕の作品について、「どこかあたたかみがある」と言ってくださる方が何人かおられました。そのぬくもりは、きっとイーハトーヴから分けてもらったものかもしれません。
僕が作り出すものとしてみられたとしても、実際には僕が抱かれてきた自然や、出逢い心にあったかいものを分けてくれた郷土の人たちなどの記憶が混ざり溶け合って生まれたものであるとおもっています。そのことは忘れてはならないし、今後は言語化して見てくれる方に伝えていけたらとおもいます。

別れたひとたちもたくさんいるけれど、分けてくれたものは一生消えませんからね。





さて、ここでおしらせを2つ。
1つめは岩手県立美術館でひらかれる「アートフェスタいわて2018」です。年末に推薦作家として同展覧会に出品するための審査をしていただいて、無事にえらばれました。
今年3月1日から、作品1点だけですが、展示させていただきますので、ご興味のある方、ぜひご来館ください。
告知サイトも公開中(こちら)。

2つめは、あたらしいZINEを販売予定というもの。いままでになく好評をいただいている.ghostシリーズが、本になります。つい昨日サンプルが出来上がりました。これから何度か校正を経て第1刷の印刷がはじまります。
いつもどおり、MOUNT さんやCyg での販売になるかとおもいます。
こちらも鋭意制作中ですので、もうしばらくお待ちください。

1馬力
2018-12-19

2014年の活動開始から、もうすぐ5年を迎えます。
いまの活動のきっかけをくれたのは、
はじめての個展を後押ししてくれた、盛岡のとある喫茶店の店主さんでした。
なにもかもはじめてのなかを丁寧に教えてくれた、やさしくて謙虚な方でした。その店主さんが病に倒れ、闘病の末、先週息を引き取りました。

大切な恩人を亡くしたことと、旅立ってゆくことの儚さと、そして誰にでも訪れる死について、さまざまなワードと、種々の感情があたまとこころのなかで泳いでいます。

こういうときは、手を動かしたくなります。
やさしくて温もりに満ちた遺影に手を合わせたお通夜を終えて、帰宅した先週木曜の夜から、時間をみつけてはずっと手を動かして制作していました。故人も、きっとこういう姿を望んでいるはずだから。そうしてできたものには、「1馬力」とタイトルを名付けました。

この世界を支配しているものはエネルギーそのものだと感じています。心臓の拍動や、体温があってこそ見られるもの、行ける場所があります。店主さんの死を目の当たりにして、生かされているじぶんに備わるそうした当たり前の生体反応に再度想いを巡らせています。
生きること生かされることがエネルギーなら、死を迎えることもエネルギーかもしれません。力を失うこともエネルギーの宿命だからです。両側面を感じ考えながら生まれた抽象画に対して、エネルギーとそれを持つ私たち一人ひとりを象徴できるような言葉をずっと探していました。

「1馬力」と名付けたイメージは、.ghostでも公開しています。よかったらご覧ください。

店主さんのやさしい笑顔を最期にみられたから、背中を押してもらった気持ちになれました。塞ぎ込むことなくこの文面を書けているのも、その笑顔のおかげです。
最期まで、そのひとはそのひとらしさを貫いていました。

〈 2018-12-18 22:13 JSTのダイアリーより。〉

ネスト
2018-12-07

世界は入れ子のよう。

宇宙も、
銀河も、
地球も、
大気も、
動植物も、
ヒトも、
人体の仕組みも、
それぞれが世界で、
それぞれが宇宙で、
大きいものから順に世界を内包してる。
あたりまえのことのなかに、
謎が横たわっていて、
謎めいた世界に
司られるままに生きている。

〈 2018-12-06 05:26 JSTの走り書きより。〉

落ち葉のように
2018-11-26

限りあるいのちを、五感をとおしてみつめる時間を持ちたいとおもっています。

冬なら、たとえば悴んだ手を温めて、だんだん芯から温まってくるあの感じに、静かな幸福感をおぼえます。大袈裟にいえば、生きている実感にも近いと感じます。同じ季節なら、あつあつのおでんや肉まんをほおばるときの幸福感などもありますね。うぅ、小腹が空きそうです。(笑)
大なり小なりではあるのですが、五感を刺激して記憶に残る小さな習慣が、生きていることの重みを再確認することになるんじゃないかと、考えています。でもなぜそんなにも生きていることの重みや実感を得たいのか、とこれを読んでくださっている方の中には不思議に思う人もいるかもしれません。けれども、それはそういう気質だということしか答えを持ち合わせていないので、なんともうまく言うことができません。別に思想家でも宗教家でもなんでもないのですが、ただ過去の苦痛な経験が、こころの拠り所として求めているのだろうとはおもいます。あとはいまの時代の環境とリンクしているところもあるかもしれません。それというのは、災害です。話はかわりますが、おとといも北アルプスの焼岳で、地震が頻発しているニュースを何度か耳にしました。こんなふうに、いつ災害で不安にさせられたり、最悪死んでしまうかもわからない異常気象の時代に、生きていることを感じる時間を意識的に持とうとするのは、必然なこころの働きのように感じられます。

そのこころの働きには、常に敏感になっていたいし、小さな習慣が繰り返されることで、記憶のふかいところに幸福感が積み重なって、ふかふかになれればいい。
幸福感をとおしていのちをみつめる時間は、やがて分解され腐葉土になる落ち葉のような存在なのかもしれません。

鏡の更新
2018-11-23

今日、ウェブサイトのデザインを一新しました。

暇をみつけてはカタカタとコードを打つ日々が、ここ数週間続いていました。ようやく完成・公開にこぎつけて安堵しているところです。一生終わらないんじゃないかと。笑

さて、ここからはちょっと重めの話をします。ーー孤独に心を揺さぶられたり、精神の不可思議さを目の当たりにする現在の私生活から、皮肉にも大きなインスピレーションを受けています。とても大きく複雑な社会の一部から、飴とむちを日々貰っているように感じます。その暮らしの色彩は、いつも黒であるように思います。孤独や、失意、不安のような意味が、闇夜や、宇宙といったイメージへと膨らんでいきます。今回の更新で、私生活に浮き彫りになる孤独の陰影を、鏡のように反映させたいと考えていました。いまの世の中で語られる、いわゆる「つながり孤独」のようなトピックとも呼応するテーマのサイトに、近づけたい意思もありました。久々に来たら画面が真っ黒でびっくりされたという方もいるかもしれません。すみません。笑
でもそういう意図があってのことなのです。個人が自由なつながりを求める時代になったことで生まれた新たな孤独に、向き合いきれないことへのアンチテーゼを持ちつつ、ただあるがままの世界を表現したい欲求があります。その意思に従ってこのサイトをデザインしました。まだまだここから築いていきたい構想もたくさんあります。その都度ウェブサイトを手作りして、興味をもって来てくれるひとの深層に触れられるコンテンツになれたらとおもいます。

構想と言えば、このリニューアルでNoteというページをつくりました。これはその日その日の未完成な制作物や思考のかけら、そしてサイトや僕自身の活動を伝えるコンテンツを、不定期で更新していくノートブックのようなページです。こちらも合わせてチェックしてみてください。

このサイトは多様な解釈の孤独に向き合えるような作品集でありたいと思っています。出先でさらっとスクロールするのもいいですが、1日が終わって帰宅した家でじっくり眺めてもらえる場所でありたい。そう考えています。そのためのコンテンツを日々作っていきますので、これからもよろしくお願いいたします。