"Tea Eggs" Diary
2021年1月17日
このグラフィックはマグカップでお茶を飲んでいたときに、ふとカップの中の茶葉を見たことで生まれた気づきから出来ています。
Eggsという名のとおり、残ったお茶と細かい茶葉が、そのまま卵のなかのいのちのように思えたことがきっかけでした。それはほんの小さな空想によってもたらされたものです。カップに残った細かい茶葉が、ちょうど三日月のような形に沈殿してくれていたので、それがまだ形になっていないけれどそこにある、新たな生命のように思えました。それはまるで母親のおなかのなかにいる胎児の姿とも微かにかさなりました。
私たちの生活において、生を想う時間というのがどれほどあるかを考えています。コロナ以前の世界では、仕事や日々の生活に忙しなく動き、死や生きる意味を考えるのは暇なひとがすることとも揶揄され切り捨てられてゆくのを目の当たりにしました。しかし暮らしていくことも仕事を営むことも生という基盤の上に成り立っていて、考えることはさして不自然ではないように思えます。しかも時間は少しずついのちの行き着く先、つまり死へと歩みつづけています。
そうした時間軸を意識するなかで、日常の景色にいのちの質量をもった感覚に出合うことは、かけがえのない体験に思えてきます。環境の変容で近い未来に生きている確信すら強固でなくなった今、その想いはつよくなるばかりです。家族が増えることや誰かの幸福を願うことに引けをとらず、些細なきっかけと想像のなかにもその体験への入り口は隠れています。生の面影を見つけることは、いま此処にいることの充足感と無常に繋がっています。
本作ではそれぞれ卵に似せて、上から撮影したマグカップの写真が正方形のタイルのように繋がり、面となって広がっていく姿を構成しました。そしてその表現には、コラージュというこれまで積み重ねてきた技法が活かされています。近頃コンピュータグラフィックスに傾倒していたわたしにとっては、写真をコラージュすることの多かった初期の制作を再び呼び起こす経験でもあり、少し懐かしい思いにも包まれた一枚となりました。
text by Atsushigraph