"Thermo" Diary
2021年1月5日
異質さと力強い色彩をもつグラフィック "Thermo" は、無骨で野生的なバイタリティを描いたものでした。それを描いてからおよそ一年後に、Thermo の景色を生み出す過程で悶々と抱えていた思考を、端的に言い表している言葉に出合うことができました。語彙力の乏しいわたしは、時が経つことで探していた言葉の表現に出合い、思いが整理され、客観視ができるようになることが度々あります。今回もそれで嬉しくなりました。
それはある日「感情の劣化」という言葉によって啓示されました。
文字通り感情が荒び、短絡的な思考に陥る状況を余儀なくされるとき、ひとはその振る舞いに真価が試されるのだと思います。負の感情に振り回されることは仕方ないとしても、その最中に社会的に許容される行動なり心持ちにエネルギーを転換できるかどうかが鍵であると思います。そんな不屈さを自らの内面に描き出すことは容易ではありません。けれどそのせめぎ合いから生まれる熱量は、長く自分を前進させる原動力になると感じています。やさしくない世界に、暗中模索の過程で湧き上がったエネルギッシュな景色が、Thermoの制作で得たかけがえのない心象となりました。
この絵を視るたびに、アグレッシヴな勢いで描いていた記憶と、制作当時に常に抱いていた誰にもぶつけようのない憤りを交互に思い出します。迸る思いから生まれた Thermo には、報われることのなかった強い感情が隠れています。しかしそれに固執することなく、次の展開を思い描こうとするポジティヴな心持ちを、今でも絵のなかに見つけることがあります。それがまだ出合えていない感覚への足がかりとなっているようにも感じられるのです。これは結果として、報われることのなかった感情が、表現というツールを借りて報われたということなのかもしれません。そういう意味でこの絵は、わたしのなかでは今も深層心理で影響を受ける、懐の深い存在でありつづけています。
text by Atsushigraph