"Undertake" Diary
2020年11月29日
毎日呼吸をするのと同じくらい当たり前に、相反する感情との対話や対峙を頻繁にしていた時期がありました。この絵はその頃に得た価値観から生まれています。当時の記憶というものは、特に厳しく辛いものがあったせいか、あまりよく憶えていません。でも、とにかく必死だったことは身体に染みついていて、その大変さだけは、今でも思い出すことがあります。その切実な日々から得られたものは、シンプルに言い表すと、「相反するものを同時に持っていても、自立していられることの重要さ」であったと思います。そしてそれは、不可能ではないというのが今のわたしの所感です。アンビバレンスな感情を、双方ともに認め携えていくことは、呼吸をするのと同じくらい大事で、あると重宝する能力だとも思えます。
それを岩と模様を掛け合わせた姿で描いてみようと考えました。岩はごつごつと無骨な内面の分身のような存在として画面に登場させます。現実にある岩を模写するだけではつまらないので、シンプルな図形から岩場を出現させました。形としては細かな角が象徴的な二十面体を使っています。それに刻まれる模様は、皮膚の指紋や貝殻の模様のような生命の繊細さに似せながら、収縮と膨張の運動を思わせる足跡を作ります。ゆっくりと動き出し、両方の感情を行ったり来たりすような揺らぎある働きがモチーフです。
岩と線による、無骨さと細やかさを同居させた景色は、相反するものを引き受け、拠り所となろうとする心に思いを寄せます。異なる感情や、対立しそうな感情にも、それぞれに存在し表出する場が必要です。その場を自分のなかに意識することは、生きていくなかで後天的に獲得していく内面の姿勢のようでもあると思います。さまざまある感情を自ら引き受けて、肝を据えたときに持つことのできるつよさは、現実世界で行動して何かを成し遂げることとはまた違った誇らしさがあると思います。否が応でも向き合わざるを得なかった内省によって湧き上がる、そうした副産物は今思えばありがたい巡り合わせだと感じています。
text by Atsushigraph