認知的オフロードと確証バイアス
対話と内省『静かな確信』より
Episode 2 : 所感
Text & Artwork : Atsushigraph
2025年12月7日
読了時間 : 3分
Episode 1の対話を振り返って最も深く印象に残ったのは、「テクノロジーに心を合わせる必要はない」という気づきでした。たとえ時代にそぐわなくても、世間から置き去りにされているのではと心配になっても、いずれ自分が親しみを持てるテクノロジーが現れるまで待つ、あるいは探し続けることも健全であるということ。
AIへのプロンプト書きという機会が、自分の中にすでに持っていた考えを浮かび上がらせた瞬間でした。
AIに人生相談することの非難に揺れていた当初の問いに対しては、それが時代の変わり目に特有の葛藤そのものであるという見立てによって、当面この心の揺れが続くことを覚悟しました。けれど今回の対話で重要だったのは、それ以降の話の中身にあったように思います。
もともと言葉を通じて思考を耕したいと思っていた願いに、大規模言語モデル(LLM)のAIがうまくフィットしただけで、AIを受け入れやすかった私は頭が柔らかかったわけでも、時代に染まりやすかったわけでもなかったということ、等々。こんなふうに、いくつかの副次的な洞察に結びついたことは有意義な経験でした。
これは自分の思考判断を外部に委ねてしまう認知的オフロードの傾向に抗うために、自分でもまずは考えてプロンプトに表現してみる姿勢が、気づきや発見をあぶり出したという見方もできるかもしれません。とはいえ、この対話の仕方は、確証バイアスを助長してはいないか、という別な懸念も孕んでいるように思えます。
このバランスは今も難しいと感じている課題のひとつです。そんな中でもあえて言えることがあるとすれば、
「自分の見立てや意見をプロンプトに混ぜることは、たとえるならヘッドライトで照らす先を自分が選び、責任を持つこと」
とは言えないかということです。それはある意味「確証バイアスが生まれやすいことを受け入れ、割り切る姿勢」とも言えるでしょう。AIの返答は、自分が向けたライトを、ちょうど車のハイビームライトのように、もっと遠くまで見えるようにするためのものと、役割分担する。そして、あくまでどこを向くかは自分が決めるべきもので、その責任の所在も自分にあるという覚悟です。
また他には、AI自体に自分の問いかけの反証を求めるというやり方もあるかもしれませんが、この分野はまだ未開拓です。ただ、こういう問いかけは、自らの内省力を削り、それをAIに進んで明け渡すことでもあるように感じられるので、慎重に捉えたい気持ちもあります。何をAIに頼り、どこから先は自分が受け持つのか。現代的で揺らぎの多い問題であることは、確かです。
対話を終えたばかりの清々しさから一息ついて、その感覚を再度問い直す。AIとの対話で、かえって悩むことが増えました。これまでいかに自分の思考力がなかったかを思い知っています。でも、ようやく「考えるひと」になれているかのようで、深い喜びもあります。