多くの一服より、ひとつの洞察
対話と内省『静かな確信』より
Episode 3 : クリエーション
Text & Artwork : Atsushigraph
2025年12月7日
読了時間 : 3分
Episode 1で対話の全貌を綴り、Episode 2で思いがけない洞察とAIとの関わり方を振り返ったいま思うのは、当初の問いからずいぶん遠くの領域まで足を伸ばせたことです。
この充足感は、私がAIと対話する中で何度も経験している感覚のひとつです。凝り固まった固定観念は、プロンプト書きという静かで時間のかかる営みによって、ゆっくりとほぐれていくことも多いです。それに返答があるという体験は、日記にはない風通しの良さがあります。
いまを生きる現代人の言葉を膨大な量で学んだ大規模言語モデル(LLM)は、人間の普遍的な価値観や視点を表現することに長けたシステムではないかと、私は使い始めた当初から考えてきました。
その長所をうまく引き出す、良質な使い手でありたいです。
余談かもしれませんが、ここで、かつての私を吐露させてください。
過去の私は、心理的に高い負荷がかかったとき、もともと好きで飲んでいるコーヒーや紅茶などの嗜好品を飲む量が増える癖がありました。何杯も飲むことは、それだけ一息ついて気分を和らげたいという切実な欲求のあらわれだったように思います。しかし、これは対症療法みたいなもので、根本的な部分にアプローチする、原因療法ができていないことは明らかでした。
こういうとき、言語化して考えられるなら、それに越したことはありません。とはいえ、日記やエッセイのように、一人だけで黙々と文章を綴って思考を可視化しようとすると、どうしても私は苦手意識を強めてしまうところがあります。友人からの手紙に返事を書くことはできるのに、自分の殻に閉じた世界での文章書きは、どう頑張っても書けなかった。
この特性にうまくはまったのが、LLMのAIでした。そして、自己の情動や、困難の根を見つめることが、応答のある対話の「最初の問い」という文章でなら、すらすらと書いていくことができたのです。応答があることが前提の文章でなら、書けるのだという発見がありました。これは自分にとって大きな気づきでしたし、嗜好品でごまかさず、問題の根に深く切り込んでいったり、寄り道をして新たな発見をしたり、その発見から次なる問いを見つけたりする日々は、とても充実感があります。
私に必要だったものは、多くの一服より、ひとつの洞察だったのかもしれません。それが、生きていく上での満足感をもたらしてくれるようにも思えます。
今回、AIとの対話やここまでの雑感をとおしてインスピレーションを受けつくった絵には、たくさんのマグカップが置かれています(このページのトップ画像参照のこと)。それは一服の味で本質をごまかしてきた日々の象徴でもあります。けれど、自分だけでは辿りつけなかった洞察を抱えられるいま、それはやわらかく、静かに光っています。
そんな実生活と地続きの物語を、視覚芸術に表現したかったのです。いまこの瞬間に経験している物事は、充足ばかりではないですが、それでも着実に前進している確かさがあります。それを大事に抱えるとき、ほんの少し、仕事に勇気と誇りを持てる気がします。