心の快適さは欲張るくらいがちょうどいい
STORIES 断想 #3
2024年9月30日
精神の不調が唐突に訪れた昨日。常に我慢と無理を強いてしまう私は、このページに掲げたタイトルのことばを思い浮かべました。
無力感と焦燥感、そして強い緊張と不安に押しつぶされそうな時間からの回復を辿る過程で、もっとじぶんの快適さに忠実になってもいいのではないかと考えたのです。
以前なら、しんどい環境や心理をそのままにして、原因を必死に詮索していたと思います。でもじぶんの中で問い詰めず、わからないものはそのまま保持するということも重要な対処だと今は思います。
心理的に負荷のかかった状況では、主治医から処方してもらった服薬を適切に実践しつつ、美術や音楽といったアートの世界観に入り込むことが、私の場合、回復への追い風になります。そんな話をこれからしたいと思います。
この日は不意に、何年か前に制作した『Sunbathing』というアートワークを思い出していました。日光浴と名づけたこの絵は、寒い冬の晴れた日にする日向ぼっこを思って描いたものです。心の隅をつつく心配や不安を、青いコーンになぞらえました。穏やかに移ろいゆく陽の光のもとに照らされ、安心感に満たされていく心境に想いを馳せています。
おおらかなこころが、じぶんを呼んでいるようです。
こういうきもちは、音楽でも感じられるものです。Manualというデンマーク出身のエレクトロニックミュージシャンが奏でる、『Until Tomorrow』というアルバムの雰囲気もそれに近いです。
この音楽を聴いていると、日常の優しい手触りが想起されます。それでいて、遠い場所へも思いを馳せるスケーラビリティが楽曲のタイトルから垣間見えたりします。良い気分も良くない気分も行ったり来たりするのがあたりまえだよと慰めてくれるようなリズムや、まだ何も起きていないかのような安息感がじんわりと漂ってきます。
これらに共通している特徴は、安らぎです。その感覚に身を浸しているうち、絵と音楽と危機に瀕した精神が、少しずつ輪になって仲をとり持つようになります。ひとつひとつの作品が単体で存在していたときよりも、もっと奥深く、静かにこころを良い方向へ動かしてくれます。それは回復の過程をより確かな足取りに変えさせてくれるものです。ここで気づくのは、その時々でこころに響くものには自作か他作かは関係がないということです。自作だから劣っている、と捉えずに、フラットに見ていくほうがいいのでしょう。
日常生活は平均台の上を歩くような不安定さがあり、それが危うさとなって迫ってくることが多くあります。けれどそんな状況でも、日々の小さな断片の集まりに紛れ込んでいる喜びや安心を、注意深く見つめて発見し、味わうことが、後々のじぶんを助けてくれるように思います。
もちろん、症状がひどいときには薬物療法も有効な手段です。私も先に述べたとおり、主治医から処方された頓服薬をお守り代わりに携行し、不調時に飲む対処を実践しています。しかしそれだけで終わらせるよりは、安心やあたたかさといった感覚を蘇らせてくれる行動を、時間をかけて実践することも組み合わせたほうがより良いと考えます。
つい我慢をしてしまいがちなので、こころの快適さは欲張るくらいがちょうどいいということを、もう一度ここで記しておきたいと思います。
精神的にしんどい向かい風を減らし、じぶんにとっての追い風に加勢する行動を、より多く見つけられたなら。それが、私を含めた疾患を持つひとたちにとって、自らを生きやすく、過ごしやすくする一助になるはずです。